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2番館 2026年版
2番館。2026年以降に映画館以外で見た作品の批評です。更新は下から上へと順次なされます。基本的に見た順序で書かれていますが書きたい作品があるとき時間が前後することはあります。藤村隆史 2
| 評価 | 照明 | 短評 監督、スタッフ、鑑賞日、その他 | |
| BLOOD ON THE SUN 東京スパイ大作戦 米 (1945.5.2) |
74 | 82 | 監督フランク・ロイド脚本レスター・コール撮影セオドア・スパークル、役者ジェームズ・ギャグニー、シルヴィア・シドニー、ウォーレス・フォード 「東洋のヒトラー、田中義一」の陰謀の書かれた秘密文書を東京在住のアメリカ人記者ジェームズ・ギャグニーが追うという物語でシルヴィア・シドニーが日本人と中国人の混血を演じ「港々に女あり(A GIRL IN EVERY PORT)」(1927)のロバート・アームストロングが東条英機に扮するという作品であり(最後まで彼がロバート・アームストロングであるとは夢にも思わなかった)、オープニングからしてこれはガチガチの反日映画になると思いきやアメリカ側からも裏切者が現れてギャグニーに殴られたり、レストランの日本人の給仕に対するギャグニーの接し方ひとつにも反日映画としての蔑みは現れておらず最後にはギャグニーの柔道による決闘が延々と撮られているように意見ではなく運動の映画が撮られている。そのシークエンスにおける川のセットとその撮られ方、ラストシーンの夜の雨に濡れた舗道のロングショットは間違ってもこの作品がただのプロパガンダではないことを現している。 中盤少し緩んだように見えるがその後も淡々と断片的な細部を積み重ねることでふたたび加速している。 こういう作品をこのように撮るフランク・ロイドという監督の映画に対するひとつのあり方が露呈している。 |
| 新天地 WELLS FARGO 米 1937.12.31 |
82 | 82 | 監督フランク・ロイド役者ジョエル・マックリー、フランシス・ディー、ボブ・バーンズ、ラルフ・モーガン、ロバート・カミングス 西部劇 今、いてほしいのはこういう映画の撮れる監督。ほとんどみずからの痕跡を残さずアメリカン・エキスプレスの創始者の一人(ジョエル・マックリー)の半生記を97分の運動の映画で撮れてしまう、ジョン・フォードにはできない断片の極致。 フランク・ロイド、監督デビューが1914年でラオール・ウォルシュとほぼ同期。 運動は断片に宿る。これ以上を求めると少しずつ映画は傷つけられる。 |
| エイリアン:ロムルス 2024 米 |
40 | 50 | 監督フェデ・アルバレス、女優ケイリー・スピーニー 歴史にそのフィルムを刻んだアレックス・ガーランド「シビル・ウォー アメリカ最後の日(CIVIL WAR)」(2024)のケイリー・スピーニーだから何とかなるかもしれないとは思わなかった。どうせだめだろうと思った。やっぱりだめだった。 フェデ・アルバレスは「ドント・ブリーズ(DON'T BREATHE)」(2016)がそれなりに楽しめる。 |
| 憐れみの3章 KINDS OF KINDNESS 2024英ほか |
40 | 60 | 監督ヨルゴス・ランティモス 残酷その2~クローズアップは9割の作家を2流だと自白させることになる。 その3~そこからさらにクローズアップへと切り返されると作家たちはほぼ全滅する。 その4~残酷とは当人たちがそれに気づいていないことだ。 |
| NON COUPABLE 偽りの果て 仏 (1947.9.24) 日本未公開 |
80 | 80 | 監督アンリ・ドコアン役者ミッシェル・シモン、ジャニー・オルト 飲酒運転で死亡事故を起こした男が逃げ伸びてその後、見事な完全犯罪を続けてゆくという物語。完全犯罪を映画に撮ることは不可能なので2回目と3回目の「完全犯罪」のシーンは撮られていない。やや大きなクローズアップが入るが透明な運動に集約された面白い物語映画。 こういう作品が未公開というのは日本らしい。フランス流の皮肉な結末で最後の5分はカットしたいところだが某映画雑誌の1947年のベストテンなら「断崖(Susption)」(1941.11.8)の次、、「荒野の決闘(MY DARLING CLEMENTINE)」(1946)の上に入っていてもおかしくない。一般論として「悪魔のような女(LES DIABOLIQUES)」(1955.1.29)のようなつまらないサスペンスよりは数段上である。 |
| 珊瑚礁 LE RÉCIF DE CORAI 仏 1939.3.1 |
80 | 86 | 監督モーリス・グレイズ脚本シャルル・スパーク役者ジャン・ギャバン、ミッシェル・モルガン、ピエール・ルノワール、ジュリアン・カレット、ガストン・モド モーリス・グレイズ(Maurice Gleize)は日本では殆ど無視されているので骨を拾う。 くだらないと感じながらちっとも弛緩しないで最後まで突き進む。理由を説明しない。なぜギャバンは人を殺したのか最後までよくわからない。そのギャバンを逃がした女の動機も終盤になってやっと刑事のピエール・ルノワールの口からそれとなく明らかにされるだけで決して深入りせず女はあれっきり出てこない。セリフも少なく断片によってシークエンスが切り取られているので心理的にならない。ミッシェル・モルガンが後半になって初めて出てくるのもこの作品が断片によって撮られていることの証のひとつ。 モルガンに特権的な光が当てられている。 ラストシーンは断片のひとつに過ぎない。 カルネ「霧の波止場(LE QUAI DES BRUMES)」は1938.5.17封切り。 |
| 侍タイムスリッパー 2023 日 |
10 | 20 | 監督安田淳一 映画以外のなにか。 見学者が出て行ったあとそのまま撮りました、というセット。 ネタしかない。 すべてにおいて老人化している。 |
| ウエスト・サイド・ストーリー 2021 米 |
50 | 50 | 監督スピルバーグ 視点がない スターがいない 画面がない ショットがない |
| 面の皮をはげ MIROIR 仏 1947.5.2 |
80 | 80 | 監督レイモン・ラミ撮影ロジェ・ユベール役者ジャン・ギャバン、ダニエル・ジェラン、ジゼール・プレヴィユ、マルティーヌ・キャロル 原題MIROIR。ミラーという名のギャング(ギャバン)が名前を変えて実業家になり死んだと思われていた仲間の息子(ダニエル・ジェラン)を育てているという物語だが物語映画としてのギャング映画としての質を備えている。 以前見ているはずだが先入観でよく見られなかったか。 詩的リアリズムでもなくがちがちのギャング映画でもなく家庭をそれなりに撮りながらの静かな展開は「The Godfather(ゴッドファーザー)」(1972.3.14)へと受け継がれているのかもしれない。 レイモン・ラミは監督としてよりも編集者としてロベール・ブレッソン「スリ」、「少女ムシェット」などの編集で知られているが監督としてのこの作品を無視することは映画史を捻じ曲げることになる。 カジノ、女子プロレス、ボクシング、息子の結婚式、、と淡々と進んでゆくジャン・ギャバンそのひとの世界。 フランス映画パーフェクトコレクション「ジャン・ギャバンの世界第一集」はデュヴィヴィエ「逃亡者(THE IMPOSTER)」(1944.2.10)、アーチー・L・メイヨ「夜霧の港(MOONTIDE)」(1942.4.29)、前半が素晴らしいジル・グランジェ「ラインの処女号(LA VIERGE DU RHIN)」(1953.11.13)など、権威が推奨する以外の作品にこそ価値を伴う逸品である。1800円。笑、、、 |
| 逃亡者 THE IMPOSTER(1944.2.10) 米 ユニヴァーサル |
90 | 86 | 監督ジュリアン・デュヴィヴィエ撮影ポール・アイヴァノ役者ジャン・ギャバン、ジョン・クゥオーレン、リチャード・ホーフ、 フランスがドイツに占領されアメリカへ亡命したジャン・ギャバンがアメリカのユニヴァーサルで英語を話すフランス兵を演じたアメリカの戦争映画をフランス人のジュリアン・デュヴィヴィエが撮っている。 このハリウッドの透明でグローバルな作品は見ただけでフランスのジュリアン・デュヴィヴィエが撮ったとわかる者は世界に一人もいないと断言できる。まるでジョン・フォードが、、あるいは最良のマイケル・カーティスが撮ったかのような無名兵士のエモーションを画面に焼き付け1944年世界のベストテンに入る作品として現前している。 元旦からこの作品を引けるとは、、まさかデュヴィヴィエが、、 アメリカとはこういう場所なのだろう。作家は最初の痕跡を消されて透明にされる。そしてあとから残ったことのみがその作家の痕跡として語り継がれてゆく。それがグローバルとなり伝説となる。 ジャン・ギャバン本人がこの作品を気に入らなかったという理由でこういう作品を簡単に映画史から抹殺してしまう批評から別れを告げて現在の鼓動としてこのジュリアン・デュヴィヴィエの「最高傑作」を体験できてしまえる環境が今や整いつつある。 2026年元旦 |
| 夜霧の港 MOONTIDE(1942.4.29) 米 20世紀フォックス |
72 | 80 | 監督アーチー・L・メイヨ(フリッツ・ラング)役者ジャン・ギャバン、アイダ・ルピノ、トーマス・ミッチェル、クロード・レインズ アメリカに亡命中のジャン・ギャバンが出演した2本のアメリカ映画うちの1本らしく(もう一本が↑デュヴィヴィエ「逃亡者」)、ここにアイダ・ルピノ、トーマス・ミッチェル、クロード・レインズという名前がかかわっている。 ジャン・ギャバンはどこへ行ってもジャン・ギャバンだからこそアメリカに適合せずデートリッヒと浮名をはせただけでフランスへ帰ってゆくのだが(その前に入隊もしている)この作品は中盤まではジャン・ギャバンとアイダ・ルピノの存在感だけで一片の緩みもなく進んでいる。 ■補 ギャバンとアーチー・L・メイヨが対立し最後の4日間はフリッツ・ラングが撮ったとのこと。 |